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2017年12月10日日曜日

現場報告 -仕事や恋人のことについて。

私は現在兵庫県の西脇という、写真のような風景が広がる、織物の産地で生地や服に携わって働く二十代のテキスタイルデザイナーの卵。神奈川から移住して働き始め、およそ1年半が経ちました。都会と比べて不便に思われることもあるけど、元来どこにいてもあまり暮らし方が変わらないタチなので、正直静かで、誘惑も少なく、自然も美しく、一方で生活に必要な本屋やスーパーもちゃんとあるので、とても住みやすく、楽しくやっています。

タイトルの通り、私の親友であり、恋人である相手は今母国に帰国しています。場所は大きな海を挟んだアメリカ。兵庫に来て、縁あって知り合ったのですが、なんだかんだ出会って一年になりました。帰国、とはいっても今回は10日間。しかし、彼にとっては2年前に初めて日本へ来たとき以来、初めての帰国。私より一つ年下なので、まあ、(ほとんど変わらないけど)まだまだ若いのです。結構日々頻繁に会っていたのもあって、しばらく物理的に遠いのは、実は新鮮で、思うことが(いい意味で)いろいろありました。
彼はあるプログラムで日本に英語の教師として働きに来ているため、契約期間が決められています。それが終了する予定なのは、来年の8月。まだまだ、と思っていましたが、今日数えたらあと11ヶ月なのだと気づきました。長いように思えて、1年前が昨日の日のように思える、日々の時間のスピードを思うと、あまり時間がないな!おいおい!と思ってしまったのですね。
ちなみに、私も市の育成プログラムで雇われているため、3年の間は会社で働けることが基本的に保証されています。でも、そのあとは自分が働く会社や部署の売上、成果を見て、会社側も育成プログラムの補助なしで私を雇うかどうか決断をしなければならず、それは私自身の一つの分岐点ともなると思います。それを目安に考えると、あと半分。今日がちょうど折り返し地点なのです。
先行き考えず、出会ってしまった彼とのお付き合いなのですが、私は日本人よりも他の国との人の方が肌が合うのではないかな?と学生時代から薄々感じていたので、漠然と日本以外で生きることにもいつも関心がありました。この年になったのもあって、彼と人生を過ごしたら、これからも面白そうだなとも思い、アメリカで生活するという選択肢も私自身は付き合い始めた頃から頭のすみに生まれていました。でもやっぱり一筋縄ではいかないよなとも最近思い。それをある意味、もっと現実に引き寄せていきたいなと思って、いろいろ考えたのちにこの記録もつけようと思ったのです。
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とはいっても、向こうへ行けば、何かしらの仕事は見つかるのではないか!と思ってます(ここが楽観的すぎると我ながら思うのですが)。日本料理のウェイトレスでも、ホテルの清掃でもよければ、何かあるのではないかと。でも「彼といる」ことが私の人生の目標ではないよな、と同時に思い直し。今、自分が望んで移り住んできた西脇と、ここで織物に携わって培っている経験を生かしたい。頑張って掴んだチャンスを、大切にしなければとも思っています。どちらも叶えようとするのは欲張りかもしれないけど、やはり本心なのですな。何も試さない前に諦めるのはおかしいなと思い、より一層自分の仕事へどういう気持ちで向き合って、織物とどう関わっていけるかを見つめ直す時間を作っていきたい、考え抜く姿勢を持ち続けたいと思いました。
そして、語学。向こうで働くのに最低限必要なスキルが、私はまだあるとは言えません。日常会話は恋人のおかげで1年間かけて少しずつスムーズになってきたけど、表現力、会話力、文章を書く力は努力なしではやっぱり伸びないのを実感しました。とにかく、彼との残り8ヶ月を悔いのないように過ごしていきたい。そのためにはお互い、より深いコミュニケーションを取れるようになりたい、そして、それは自分が生きていけるや働ける場所をもっと広げることに繋がるだろうと思っています。
だからね、漠然としたイメージや欲求を妥協せずに、とりあえず進み続けてみます!

2017年10月2日月曜日

重ね煮

先日、料理を習いに行く機会があった。そのイベントには、自分がずっと気になっていたcalico(http://www.calicoindia.jp/ )の代表の方がいらっしゃるというので、これは行かねば!と突発的に申し込んだのだった。
料理は美味しかったら嬉しいな、くらいの心持ちで行ったのだけど、期待以上に面白かった(そして、美味しかった)。今回レクチャーを受けた[重ね煮]は野菜をだんだんと重ねていく、その順番が大切とされる料理の仕方。野菜や穀物、海藻などすべての食物は “陰” か “陽” どちらかの性質を持っているという考え方が根本にあるらしく、とても東洋的な素材の捉え方なのだ。
野菜でいえば陰の性質をもつ葉菜はお鍋の下に、陽の性質をもつ根菜は葉菜の上に重ねるらしい。レクチャーしてくださった人は陰と陽が「調和」するという言葉を使っていたけど、そうするとうまみが引き出されるのだそう。
とてもシンプルなスープだったのだけど、出汁も砂糖も、この日は肉も魚も使わずとも、とても濃厚なスープを教えてもらった。重ね方が違うと、味も変わるんだと。不思議だなあ、と率直に感じて、素材そのものが持っているおいしさが最大限に引き出せるのということにも感動した。
料理を理解する、というのは、淡々と料理を作ることに加えて学んでいくと面白いかもしれない。日々の自分が食べる料理を作るのに追われていたけど、なんか楽しめそうだなと、とても新鮮な体験だった。

2017年7月30日日曜日

夏のプール

夜の温水プール。薄い黄緑色の大きなカーテン。赤いコーン。水色のプール。黄色のレーン。目に入る全ての色が、とても綺麗に見えた昨日の夜のプール。人も空いていて、すごく気持ちよかった。

隣の5レーンくらいは大人向けのスイミング教室だった。「クロールの時に一番大事なのは、水を掻く腕にしっかりと力を入れることです。ここでちゃんと掻けないと前に進みません」

しばらくはクロールしていたけど、途中から誰もレーンにいなくなったので、ゆっくりと泳げるようになった。平泳ぎしたり、背泳ぎしたり、ビート板で泳いでみたり。(平泳ぎは全然進まないし、背泳ぎは、自分の先を泳ぐ人の姿を水の中で見たとき、思っていた以上に足先の動きが間抜けだったので、誰かと同じレーンを使っているときはなんとなく嫌だった。)

昨日ふと、ていねいな平泳ぎをしてみようと思った。

スタートして5mくらい蹴伸びをしたら、手を掻いて、顔を上げる。小さい頃、平泳ぎを教えてもらったとき息継ぎの間に足を動かさないと習った。要は、キックと息継ぎをちゃんと分けて行うことを教わったんだった。これが意外と難しい。キック、息継ぎ、キック、息継ぎ。当たり前だけど、これをいかに正確に、早くできるかが要なのだと昨日気づいた。キックはできるだけしっかりと進むように早く、そして息継ぎもいかに早く顔を上げて、息を吸って、早く水中に顔を戻すか。これを探求しだしてから、多分500mくらい平泳ぎをしていたように思う。でも、やっていくうちにだんだんと、これまでのすごくゆっくりな平泳ぎから、少し、水泳選手が見せる勢いのある平泳ぎに近づけた気がしたのだ。気のせいだとは思うけど。変化を体感できたのが、すごく面白かった。気を緩めると、すぐ元の形に戻ってしまったものの。

小さい頃、水泳教室はすごく好きだった。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ。いちばん好きなのは背泳ぎだった。理由はとてもシンプルで、背泳ぎのクラスにいた5才くらいのとき、先生が「背泳ぎがすごくうまい。背泳の選手になれよ」と言ってくれたからだ。(私はその言葉を間に受けて、途端に背泳ぎが得意になった。)

教室では、一つずつクラスが上がるとバッチと帽子をもらえた。一番上のクラスは水色で、200mメドレーを設定タイム以内で泳いだらかぶれる色だった。私は水色をかぶらずに教室を終えた。200mを設定タイムで泳ぎ切った日に、水泳はやめようと思ってやめた。

昨日ふと思い出したのは、私はいつもそうなのではないのか、ということだった。あらかじめ、他の人によって設定された目標はすごい熱量で達成しようとする。しかし、全てがかなった途端に、なんか満足してしまうのだった。そして、ちょっと迷子になるのだった。実は今思うと、大学生の時の韓国語もそうだったと思う。

自分で、自分の目標を設定することが苦手なのである。むしろ、今考えると語学であれスポーツであれ、そこが出発地点だった。人に教わる最低限のことを終えただけで、そこからは自分次第なのだ。

仕事でももちろん、同じことが言えるのだと思う。もちろん私の日々の生活だって、誰も目標や課題なんて与えてはくれないのだ。一つ一つの決めたことを、時間を工夫して淡々とこなしていく。気づけば振り返ったら、自分が見たかった景色が広がっているように、大きな目標を明るく、少し上の方に掲げながら。

そんなことを考えた水泳だった。

「クロールで掻く手は、動力なので、できるだけ動かしている状態がいいんです。だから両手が前で揃う時間というのはできるだけないことが理想です。」

隣の水泳教室で言われていたこと、そりゃそうだよね、と聞いていたけど、実際に意識して泳いだら全然いつもより速く泳げた。私のクロールも実はとても未完成だったのだ。

2017年7月29日土曜日

chill or not chill

"chill"って何?未だにニュアンスがつかめない単語のひとつ。「彼女はchillだけど、あの人は半分chill、彼はchillじゃないな」じゃあ、そういうあなたは?「僕は強い主張を持ってる方だからどっちかというとchillではない」私は?「…うーん、たまに?」ワカラーン!みたいな。

要は、流れに身を任せられる、物腰の柔らかさがありつつ、軸もちゃんとしてる、クールな感じらしい。確かに私はどっちかというとchillではないかもしれない。と言って、彼ほどに強い主張もしない。

「もしかして私ってただつまらない人なのかな」と聞いてみたら…「そうでもない」と返ってきて、余計不安になる。「僕の提案にいつも同意してくれるのは、嬉しいけどたまに驚くね」と言われる。大してアイデアがないし、へーいいじゃん、そうしよっかーってなっちゃうんだけど。。「考えてること、全部口にだしたら面白いと思う」と言われる始末。「私そんなに考えてないよ?」「いや、いつもなにか考えてるよ」「そんなことないよ、ぼーっとしてるよ」「言わないだけだよ」

そうなのか……?!?!(揺らぎまくる)

確かに、言葉の壁をたまに面倒くさくなって、「韓国人のいとこはセルフィーが自分の自信に繋がるって話してた。よくわからないけど。」っていうことをいうのにも一苦労するから、ちょっとしたぼやきってあんまり口にしてないかも。ちょっと疲れていると未だに全然英語でてこないんだ。そして2、3日一緒にいるとようやく慣れてくるんだ。

英語、ちゃんと勉強しなきゃ!!と思い。今日から始めます。それと同時に、自分の考えていることを知ってもらうために日記にしてみるという二重の段階で進めていきたいと思います。そしたら語彙も増えるだろうしね。

トピックは、主に日常のこと。仕事のこと、生活のこと、なんでも。英語は中学1年生の3学期に脱落した記憶からコンプレックスを捨てきれていないけど、地道に頑張ります。温かい目で見守ってください。

2017年7月13日木曜日

新しい体験

桃を皮つきでかぶりつくこと
テントで寝ること
山の中をランニングすること
山の中でおしっこをすること
オートミールを食べること
疑問をその場で口にすること
休日に早起きすること
居酒屋にいかず、チープに夜遊びをすること
自分の生活に手間をかけること

変なことしか思いつかない。けど、一緒にいるからこそいつも新しい体験がある。人間が違えば違うほど、これは一生あるのではないだろうか?しんどさもあるだろうけど、それと裏腹に新鮮ともとれる。やはり面白いのだ。

ファッションとはなんぞ。

服というのは特に「今」とか「季節」に追われるものだけど、大きく捉えれば、食も音楽も今生きている人に提供されるものだから、それを察知して物作りするというのはすごく必要な要素なんだよね。それができるか、できないかが「デザインされているか、されていないか」ということなんだ。 今の人にとって必要なものを作らなければならない。それが大前提だ。それが「今流行っているもの」かどうかはまた別問題。今ないけど、きっと今の人が欲しいもの、必要なものというのを見据えて築いていく力が本当のデザインなのだと思う。昔を知って、今を踏襲した上で、考え抜いた形やあり方だ。 デザインというものの基礎が、経営を回していきたいという考え方からようやくスタートを切ったようにも思える。新しすぎても売れないし。その塩梅が難しいね。 私は、かわいいレインコートとTシャツと傘が欲しい。(最後に無茶苦茶。) でも、元はと言えば、ファッションに全然興味ないから、客観視できるかなと思って今の業界に入ったんだった。よそものだからこそ、学べることがたくさんあるだろうと。100%好きだといえるものではないからこそ、反面教師で良し悪しを捉えられて、改善できるのではないかと。

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(うえの文章を書いてから、かなり時間が経ちました。)
 時間をかなりおきまして。それを利用すればいいのかな?とさっきやっぱり思ったわ。ファッションかどうか、って私にとっては…………………後から付いてくるものでどっちでもいいかもしれない。やっぱり純粋な活動源は、自分の疑問とか問題を見つけることからだなあ。仕事でもあるしね。後継問題、経糸は綿しかダメ問題、ヨコ糸は限られる問題、、、ものを買うことに罪悪感を覚える問題。という気持ちと裏腹に、ジャンクなアパレル用品で節約する問題。

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(またかなりの時間をおきました。)
井上雅人さんが「ファッションは、アイデンティティと流行のデザインだから、生活のあり方や生き方そのものを提案していくのが強いのは当たり前のこと」だと話していた。ライフスタイルを提案するような産業にシフトしていく、にしても「衣」だけでなく「衣 食 住」が近づいていくだけのこと。私は縁あって生地や衣類に近しい仕事をしているけど、その全体像を忘れずに働いていきたい。結局お客さんが買っているのは、価値観なのだ。共感するから買うのだ。自分にとってのそれは何か?っていうことも、西脇にいるとよく考える。

2017年6月28日水曜日

ピンチはチャンス。一病息災。

久々に会った父親が、働くうえで大切にするべき、二つのモットー。「ピンチはチャンス」と「一病息災」。

社会人になってから、身内だった父親はいつしか理解者であり、第三者となった。会社での出来事や悩みを経営者の視点で冷静に指摘してくれるのがとてもためになる。いろいろ自分の力足らずで、へこみかけていたけど、少なくとも自分の今の立ち位置は会社にとっては一つの希望であり、未来であり、試行錯誤している最中のものなのだよ、と諭されました。軌道に乗らないうちは、きっといろいろ言われるでしょう。それでも自分の信念にしたがって、とりあえずやることやればいいんだって。 

父曰く、私はもっともっと決め打ちしていったほうがいいらしい。私は、自分が望んだ状況に近くなっている自信はある。ただ、これからどうやって生きていくか。何がこの人生でやりたいかを考えると、うーん。もう一つ何か必要です。まだわからない。 そうそう、一番最初のモットーは、文字通りなんだけど。ピンチ!!(産地に若者がいない!へ通しできない!後継いない!仕事がない!)は常にチャンスだと。困っていることに焦点を当てれば、他にやっている人が誰もいないんだから、一番になれるチャンスなんだと。服が売れない時代に、服を作るっていうのもチャンスかもしれないよね。

 一病息災。これは会社について。歴史がある産地や会社とは、大小問わず、何十年も続くということ自体、恐ろしくすごいことなんだと力説していました。これはまだ会社を持ったことのない私にはわかりきらないけど、想像できないほどすごいんだろうね。 

あとは、えらくならなくていいのだよ、と言ってくれました。好きな人ができて嫁に行きたくなったらそれでいいのだよと。生きているうちにやりたいことができたらそれでいいのだよと。話してくれました。それはすごく嬉しかったな。

父がたまに贅沢をするのは、とりあえず余った人生で財産を使いきろうかなと思うから、らしい。(父らしい考え方である。)私ぐらいの歳の時、1000万くらい稼いでいたらしいよ。すごい人だね。次元が違うよ。現在の生活に慣れた今でも、いつでも5万円アパートの生活で人生楽しめるし、自分の根本は変わってないんだって。素敵ですね〜自分もそうでありたいな。彼としては「自分が、朝鮮人なのに」ここまでやってこれた、それがすごく実感として大きいって言ってた。とても興味深かったな。